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第20回 キッカケを与えてくれた青年が上海に移住

セミナー活動を始めてから1年目に
参加者の1人である松尾勝さんが
北京の大学に留学することになりましたが、
それから、さらに1年たったところで、
2人の青年が、勤務先を退社し、
上海の「永漢日語」で日本語を教える
先生になるという道を選びました。

このうちの1人がこのHPで
「道連れは無敵の相棒」
と題するコラムを連載している
湖津園立治さんです。

そしてもう1人は、私にセミナーをひらく
キッカケを提供してくださった青年です。
この青年は、私のセミナーに参加したあと、
会社の内外で、自分を燃焼できる場を求めて
いくつかの行動を試みました。

一つは会社の中で自分をもっと
燃やせないかと思い、
職場の上司に対して
「いまやっている仕事より、
もっと難しい仕事がありませんか?」
相談しました。

しかし上司から、
「うちの会社には君のいうような
難しい仕事はないよ」と言われ
会社のなかで自分を活かしてく
ことはやはり難しいかとの印象を
深めたようです。

一方、自分は飲食の分野で
生きていけないかと思い、
その方面での開業セミナーに
参加したようですが、ここでも
「ここなら自分を打ち込んでいける」
という確信を得られなかったようです。

そんな彼の目に入ったのが
『上海で日本語の教師をしませんか』
という邱永漢さんからのメッセージです。
「2年間、日本語を教えながら、
中国語も勉強する。この間、
発展する中国のなかで
自分を活かせる場を見つける
ことができるかもしれません」
という邱さんの言葉に心動かされ、
上海で自分を活かせる場を見つけたい
という希望をもって、応募しました。

幸いにして採用通知をいただきました。
彼には奥さんと小さな娘さんが
いるのですが、ひとまず単身で上海に移住し、
そのあと、当地の状況を確かめた上で
家族を呼ぶことにして、この7月中旬から
「永漢日語」の日本語教師の仕事に
従事するようになっています。

このように、セミナーを開催してから、
2年ったところで、日本での勤務先を辞して
中国で働く人がでてくるという
変化が起こってきました。

執筆者:戸田敦也(2005年09月03日)

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■戸田 敦也 (とだ・あつなり)
toda.jpg 邱永漢思想研究家。経営コンサルタント。問題解決・意思決定の研修講師。昭和18年3月生まれ。昭和40年、東京大学経済学部卒業。同年、八幡製鉄(現新日鉄)入社。平成6年、新日鉄部長を経て、研修業に転じ、現職。以来、邱永漢作品のエッセンス本『原則がわかれば生き残れる』、『アジアの曙』、『生きざまの探求』、『新・メシの食える経済学』(以上、グラフ社)を編集、解説。平成13年『あなたも賢者になれるー私は邱永漢さんの知恵を借りた』(グラフ社)を刊行。邱永漢思想の探求をライフワークとし、その一環として、各地でセミナーを開催。「株式投資の原則」などの通信セミナーも実施。

■戸田敦也さんへのメールはこちらまで: todaatsunari@gmail.com