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第77回 「会社拝見 ⑤」 ~千代田化工建設株式会社~ その2

「5.毎年二十数名が外遊
   夏休みに理科系学生にアルバイトを与えて、
   会社に親しみを持たせようとするのは現在どこでもやっているが、
   千代田化工では一昨年末、「奨学金贈呈懸賞論文」を公募し、
   中曽根康弘、茅誠司、小汀利得の諸氏を審査員として、
   意欲的な会社であるという印象を一般学生たちのあいだに
   植えつけようとして努力している。
   「なかなかズルい手ですね」と私がひやかしたら、
   「いや、チョットした作戦ですよ」と玉置さんは即座に言いかえして、
   豪傑笑いをした。

   経営者の頭がそういう方向に向いているから、
   技術者の向上のためには金を惜しまず、
   毎年、二十数人の技術者を海外に派遣し、
   その費用だけでも三、四千万円もかかっている。


6.日本有数のプラント・メーカー
   「このごろは、海が不景気なので、造船会社も
   われわれと同じプラント・メーカーの分野に進出してきているし、
   電機メーカーまでが手をだしはじめています。
   なにしろ洗濯機や冷蔵庫をつくって蓄積した莫大な金の中から、
   三倍とか五倍という予算をとってこの方向に注ぎ込むのですから、
   資本金は相当なものですが、技術陣だけは、
   おいそれと出来上るものではありません。
   どこの会社も技術者の不足に悩んでいるはずですよ」
   と玉置さんは溢れるような自信を、その柔らかい語調の裏にひそめ、
   「まあ、われわれとしても、川崎の工場のようなものを
   二つ、三つ建てようなんてことよりも、
   現に日本国内に利用できる設備を持った会社がいくつもあるのですから、
   それらの会社と技術的な協力をして行こうと考えています。
   技術的な親会社になるというと語弊はありますが、
   日本産業の縁の下の力持ちと申しますか、これからもう何年かたつと、
   あれも千代田が建てたと、あなたにほめてもらえるような
   立派な仕事をするつもりですよ」

   千代田化工は三菱石油の工事部分が独立してできた会社なので、
   化学装置の中でも、とくに石油プラントを得意としているが、
   すでに今まで建てた工場でも、日本じゅうの石油会社は言うに及ばず、
   富士、八幡製鉄、日本鋼管、住友金属、
   さては、味の素、東洋高圧、武田薬品、三菱化成、ミヨシ油脂、
   ライオン油脂、日東化学、呉羽化成、日産化学、原子力研究所‥‥など、
   化学装置を必要とするあらゆる事業会社におよんでいる。

   しかも二十億円の資金を投じて完成した川崎の新鋭工場が、
   いよいよフルに動き出す段階にきたので、日本産業界の
   急速な技術革新と相まって、千代田化工建設がいったいどこまで伸びるのか、
   ちょっと見当もつかない。
   そのことが私自身の頭の中にあるので、
   「プラント・メーカーに進出した他の会社では、
   千代田の技術陣をほしがっているそうですから、
   人身売買をしただけでも、千代田は資本金以上になるそうじゃありませんか?」
   と冗談を言った。
   「え?」と玉置さんは驚いたが、八百人を一人ずつ権利金をとって譲れば、
   六億円以上になるでしょうと言うと、
   「そうそう。売るとなれば、社長が一番高いぞ」
   とまた大笑いになった。
   戦後百万円から出発した会社を資本金六百倍、しかも、
   日本にただ一社の技術を売るプラント・メーカーにまで育てあげたご本人なのだから、
   スカウトに応じようということになれば、徳武選手どころの騒ぎではないだろう。


7.彼女の香水が成功の第一歩
   私は以前から玉置さんは知っているが、
   技術者出身の社長としては珍しく逸話の多い人である。
   九大応用化学の出身だが、どうして九大に入ったかという理由がふるっている。
   何でも佐賀の高校時代に福岡の町を歩いていて
   美しいお嬢さんに出会ったことがあった。
   一目惚れをした玉置青年がいきなりお嬢さんのあとをつけて行って
   向うの家で驚いて、そういきなりでも困るが、
   おつきあいする程度ならとの返事である。
   そのお嬢さんとつきあおうと思えば、福岡の大学に入るほかない。
   入る前に「君、何が好き?」ときいたら、
   お嬢さんは「香水よ」と言う。
   香水なら応用化学だ、というわけで、応用化学をえらんだのだそうである。
   そのロマンスの相手が今の奥さんである。

   九大を卒業した玉置さんは三菱石油へ入社後、間もなく、徴兵検査を受けた。
   その時、玉置さんは徴兵検査官に向かって
   「今後国防その他で航空燃料は非常に重要なことになるので、
   兵隊に勤務しないでも他に仕事があると考えてもらいたい」
   と言った。
   試験官も面白い人だったと見えて、
   「それなら丙種合格にしてやる」
   と答えた。
   おそらく徴兵検査に行き、司令官と交渉して、
   丙種合格にさせてもらったのは、まれであろう。
   またこんな話もある。当時の三菱石油は毎年高い賃金を払って
   アメリカから技術者を呼んでいた。
   若い玉置さんは
   「アメリカから呼んで来なくても、ぼくが行って全部覚えて来ますよ」
   と提案して、アメリカへ派遣された。
   間もなく「石油の一滴、血の一滴」の時代になり、
   玉置さんは呼びもどされて陸軍の燃料関係にまわされ、
   バレンバンの石油工場の責任者になった。

   やっと戦争が終わって、これからいよいよ三菱のために約束をはたせる時代がきたと
   思ったら、とたんに財閥解体、玉置さんは千代田化工の方へまわり、
   ついに今日のごとき技術会社をつくりあげたのである。
   そんな人物だから、艶聞もなかなか豊かで、ある時、
   赤新聞にあることないことをすっぱぬかれた。
   社長室における玉置さんの奮闘ぶりを知っている人々はアッハハハ‥‥‥と
   一緒になって笑うだけだったという。

   以上の話はいずれも玉置社長をよく知る人々から聞いたことで、
   どこまでが真実であるか私にはわからない。
   しかし、それをあえてここに書き出したのは、千代田化工のような技術を売る会社では、
   技術者の総帥が大切であって、すこしでも玉置社長の風貌を
   皆さんにお伝えすることができたら、と思ったからである。」


千代田化工建設株式会社は技術が売り物で、完全な技術者集団の企業であるようです。
社長の玉置さんも、自ら技術者なので、技術者を育成するには
時間がかかることもわかっているし、人も大事にしていたようです。
また企業の揺籃期においては、それなりの苦労があるのは当然のことですが
いったん成長して来ると、企業を大きくするには、提携していった方が
効率はいいし、費用対効果というコストパフォーマンスの面からでも力を発揮することは
自明なことです。
そういった意味においても、玉置さんは先の見える経営者だったと思います。
なにせ上の文章にあるように、戦後百万円から出発した会社を
資本金六百倍にしたというのは大いに評価されていいことです。

企業の規模が大きくなると、小回りがきかなくなる所が出てくるので、
経営者のトップはそれだけに舵取りをうまくやらないと
荒波をもろに被ることがありますから、大変です。

一方、現在のこの企業の従業員数や資本金をインターネットと調べると、従
業員は単独で1,232人、連結で2,918人になっています。
平均年齢は44.1歳。「会社拝見」で紹介された時は1,500名でしたから、
今も技術を売る会社であることが続いているようです。
資本金は770億円ですから、昭和35年の6億円からすると,約128倍になっています。
まぎれもない成長会社であったことがわかります。



1954年生れ。52歳。
九州の高校を卒業して
すぐ某建設機械メーカーに入社。
それ以降、現在に至る。
サラリーマン生活のかたわら投資活動を実施。
貧乏旅行を好む。

■虹原太助へのメールはこちらまで → nizihara2000@yahoo.co.jp

執筆者:虹原太助(2007年06月10日)